ただし、脇が甘く文鮮明はレーガン政権下のアメリカで脱税の罪で摘発され、服役したことがある。

しかし、東西冷戦が終結期に入ったことで方向転換が必要となり、91年に、それまで「共産主義の悪魔」と攻撃してきた北朝鮮へ文鮮明が訪問した。文鮮明は、それまでもレーガンやゴルバチョフに会うなどVIP詣でをしてきた(ゴルバチョフはソウルの文鮮明の自宅を訪問したし、ゴルバチョフ財団の資金のかなりを負っているともいわれる)。

それが、この年に金日成主席の招へいを受けて訪朝し、多額の献金や工場建設を約束し、「打倒北朝鮮」から北朝鮮の「高麗連邦構想」に則った南北統一支持に転じた。

公明党は細川政権、ついで新進党に参加したが、陰の主役だった小沢一郎の横暴に耐えかね離脱したりしたのち、99年に自公連立が成立した。これをみて、逆に民主党は自民党支持だった宗教団体を引きはがそうと攻勢を掛け、かなり成功を収めていた。

例えば、立正佼成会やそれと繋がりのある新日本宗教団体連合会は、自民党候補を中心に支持していたのに、07年参議院選挙での推薦候補者数は自民3人、民主31人と逆転し、22年の参議院議員選挙でも立憲民主の白眞勲、杉尾秀哉、森裕子らを支援した。保守支持の宗教団体の中心だった生長の家も、近年は「与党及びその候補者を支持しない」としている。

旧民主党系による工作は統一教会にも及び、04年に国際勝共連合と世界平和連合が共催した「救国救世全国総決起大会」には、中曽根康弘と並んで鳩山由紀夫民主党前代表(当時)など出席し、民主党議員は自民党より多い9人が出席していた。

鳩山も挨拶に立ち、両連合の会長でもあった統一教会の小山田秀生会長(当時)にエールを送り、支持取り付けに猛チャージを掛けたのである(『アエラ』2004年5月10日号「統一教会『政界の標的』鳩山由紀夫らヨイショあいさつ」)。

小泉内閣以前の小渕・森内閣の時代は、南北朝鮮いずれもと関係はそれほど悪くなかった。だが、小泉訪朝の際に拉致問題がクローズアップされ両国関係はこじれてしまう。