「人生の黄昏時を迎えて来し方を振り返ったとき、記憶の中にはっきりと浮かび上がるのが物質的な利得や名声、財産であることはほとんどないだろう。私たちの存在の核心に触れるのは、共感に満ち溢れた巡り会いの瞬間――自分自身の殻を抜け出して、繁栄を目指す他者の奮闘を余すところなく、我がことのように経験するという超越的な感覚が得られた瞬間なのだ」(P.469)
主体は?
競争が支配原理である資本主義から共感がそれであるコモンズの世界に移行する。もし、この移行をひとりの個人が経験するとしたら、精神的な軋轢はかなり大きい。幕末から明治にかけて刀を捨て切れなかった武士が多かったのは、むしろ理解しやすい。
古い時代を生きてきた個人の内面での変革は難しいから、リフキンも新しい人々、若者に期待することになる。エンゲルスが未来社会をつくるのは資本主義の母斑がない新しく生まれる人々だと言ったのと同じだ。
こうした展望に同意しないわけではないが、日本ではどうかなと不安を感じる。初等・中等教育の荒廃が高校にも及んでいる。一部の大学では高等教育からやり直さなければならない現状がある。確かに彼らはインターネットの利用には優位性をもっているが、その利用目的は未来社会に繋がるものばかりではない(犯罪、ギャンブル等)。
本書は、大著でしかも図表が一枚もなく、すべて活字で埋め尽くされているから、読み通すのが大変なのだが、忍耐の果てに最終章に辿りつくと、そこに「岐路に立つ日本」という特別章がある。
2015年という時間制約を意識して次の引用を読んでほしい。
「この国は今、中途半端な状態にある。・・・日本は過去との訣別を恐れ、確固たる未来像を抱けず、岐路に立たされる。」(P.473)
当時の首相、アンゲラ・メルケルにリフキンは直接会ってドイツの進むべき方向を進言する。そこで本書の要点を説明した。メルケル首相は会談を終えて次のように言った。