しかし、他方でモノは売れなくなる。GDPの縮小だが、資本主義でなければ気にならない。シェアされて共同使用(みんなで一緒にでもよく、順番に個別でもよい)されるモノ、それこそヴェブレン、宇沢弘文のいう社会的共通資本であり、金子勇の社会関係資本(ソーシャルキャピタル)である。このときの資本は元手・原資という意味である。

精神も変化する?

コモンズは舞台である。では、そこに登場する人間の精神は、資本主義のそれ、すなわち自己中心の欲望から解放されるのか。リフキンの答えはイエス、復活である。人間の持っている共同の精神が復活する。正確に言えば、資本主義の精神に隠れて“目立たなかった”ものがコモンズという舞台を得て再び正面に登場する。

リフキンは1990年代に「科学者たちは人間にミラー・ニューロンが存在することを発見した、俗に“共感ニューロン”と呼ばれるものだ。」(P.432~433)と述べている。問題は、こういう新しい精神に持続性・再現性はあるのかだ。

資本主義の精神である欲望は、それが貨幣・資本を対象とすることで持続性を獲得する。対象が食べるものであれば欲望の拡大に限界はある。満腹状態はすぐにやって来る。しかし対象が貨幣となれば、しかも資本という循環運動するものであれば、それに向う精神は持続し常に強化される。

しかし心配はないようだ。リフキンは共感を持つ親に育てられた子供はまたそれを持つ可能性が高いという説を紹介している。逆にC.ディッケンズの『クリスマス・キャロル』に登場する欲深い金貸しはコモンズの世界では嫌われ淘汰されていく(P.434)。ダーウィンの自然淘汰が逆回転しはじめる。

かのクロポトキンはずっと前に人間の共生・連帯こそ進化の原因であると主張した(Mutual Aid: A Factor of Evolution、1902年。邦訳は『相互扶助論』、2024年、小田透翻訳、論創社)。

彼の生きた時代は自然科学の研究が社会科学に貢献するということはあまりなかった。だから、自然科学から社会科学への侵入、歴史法則の擁立はやりやすくスペンサーのような極論が長い間支持された。一世紀余りの長い休息の後、ロシア貴族であったクロポトキンは復活する。文明論者のリフキンが共感について述べた印象的な部分を引用しておこう。