限界費用とは「財を1単位追加で生産したりサービスを1ユニット増やしたりするのにかかる費用」のことで、それがゼロになれば「その製品が(固定費を考慮しなければ)ほとんど無料になる」(P.13)
この主張は、生産性が上昇すると商品1個あたりの生産コストが下がり、その分の価格も下がるという説明と同じである。極限にまで延長すれば“ゼロ”に到達するのだが、通常の商品の場合には極限はなかなか訪れない。リフキンも認めているように商品価格には様々な固定費が含まれ、機械の進歩による価格低下は一部でしかない。
先回りして言っておく。“ゼロ”地点はグラフの終点として示されるものの、経済の現実ではなかなかやって来ない。それは情報化時代でも生じうる現象があるからだ。
それは、価格が下がっていって損益分岐点を下回れば生産者はそれ以上生産しないからである。価格ゼロの可能性はグラフ上ではあっても、生産者のことを考えれば、ないのである。
情報商品の特殊性は認める。ソフトウェアーを考えよう。最初の1個にはシステム・エンジニアの労働時間がつまっている。つまり価値がある。それを私が買うとすれば対価を払う。
問題はここから。私の買ったソフトウェアーを誰かがコピーしてしまったら、そのコピーが今度は多くの人にコピーされたら“ゼロ化”が生じる。パイはある人が食べればその分なくなってしまうから消費は有限だが、ソフトウェアーはコピーしても欠けたりしない。
ここに著作権という法律が出てきて、コピーが規制され、有料化される。これは当然であり、それは価値法則が貫徹しているということでもある。通常、ハイテクがらみの商品は数量限定で、かつ模造ができないように生産され、その数量で生産コストを割って初期価格が設定される。情報化商品は、この模造が容易な特別な商品である。
情報化
ここまでなら特殊な商品が一種類追加されたということだ。しかし、情報化商品はほとんどあらゆる分野で、特に製造業で利用され、そのことで製造コストが普遍的に低下する(リフキンはIoT(Internet of Things:モノのインターネット)という用語を使う)。