こうした弁証法的発展と崩壊論理の元祖は、経済学に関する限りマルクスであり、その主張は、部分的な論争を含みつつ、資本主義を批判する多くの論者に引き継がれていく。
リフキンもその流れの中に自らを位置づけているようだ。
「資本主義はその核心に矛盾を抱えている。資本主義を絶頂へと果てしなく押し上げてきた、ほかならぬその仕組みが、今やこの体制を破滅へと急激に押しやっているのだ」(P.11)
リフキンの場合、「絶頂に押し上げた」要因の理解が新しいのである。『資本論』なら、剰余価値を追求する資本の運動であり、『帝国主義論』なら、生産の社会化、独占資本の成立であった。
リフキンが見い出した“新しい要因”、それが「情報化」だ。それは、彼が現代の資本主義の様相を目撃しているという有利性に基づいている。マルクスは航空機を見ていない。レーニンは宇宙ロケットを見ていない。両者とも、資本主義が科学技術の発展を伴侶として情報産業を生み出すことを見ていない。
では、情報化」によって一体何が生じたのか? これが本書の前半のメインテーマであり、次回に紹介するP.メイソンに引き継がれ、前回に書評の対象とした佐藤典司の『資本主義から価値主義へ』に影響を与えたテーマである。

【書評】 佐藤典司 『資本主義から価値主義へ』:情報化と価値論①
要点まとめ
本書『資本主義から価値主義へー情報化の進展による新しいイズムの誕生』は、資本主義が情報化によって終焉を迎えつつあると主張する。『資本論』が前提とした「モノ」が中心の経済は、情報が主な生産物となった現代には適用できず、資本主...
本書のタイトルが示しているように“限界費用ゼロ化”がそれである。リフキンは後の論理展開を考慮してマルクス流の価値に言及せず敢えて“限界費用”から出発している。ここは実は分岐点なのだが、しばらくは彼の“効用”に乗っていこう。