時間の経過によって、現実と理念のギャップが大きくなっているのは、単に戦争の進展がウクライナにとって厳しいからだけではない。すでに2年半にわたって、あるいはクリミアについては2014年以降の10年にわたって、ウクライナ東部地域では、ロシアの占領統治体制のほうが「現状」になってしまっている。戦争を通じた軍事的な力や威圧によって「現状」変更の試みを続けているのは、ウクライナのほうである。
もちろんロシアの違法な侵略を認めてはならないし、国際的な正当性はウクライナの側にある。しかし、それを認めてもなお、「現状」を言うのであれば、ロシアの占領統治体制は「現状」だ。力でそれを変更しようとする試みを続けているのが、ウクライナだ。
数カ月の占領統治なら、戦争の継続状態と同じと言えたかもしれないが、2年半にもわたる占領統治では、「現状」が変わってしまっていることを認めざるを得ない。したがって「力や威圧による一方的な現状変更の試みを正当化」という文言は、2年半前とはニュアンスを変え始めてしまっているのである。
このように書くと、私がロシアの占領を正当化しようとしている、と意図的に誤解する読者も出てくるだろう。そうではない。なぜなら、たとえば、戦争以外の方法で領土を取り返す方法は、少なくとも理論的には、可能である。
「いや不可能だ、プーチンがそんなことを認めるはずはない」というのが、反論の常套句である。だがそれでは戦争を続けていれば、必ず領土の奪還は「可能だ、プーチンに軍事力で無理やりに認めさせてみせる」と言えるのだろうか。
「たとえ不可能でも、仮に戦争が永遠に続くとしても、戦争を続けなければならないのだ」、ということであれば、それも一つの立場ではあるだろう。だがその場合、三つの立場を選択肢として検討する政策論がなされなければならない。
第1に、仮に時間がかかっても交渉を通じて領土の返還を求める立場(停戦を視野に入れる)、第2に、永久戦争を受け入れる立場、第3は、期間を限定して戦争を行いつつ、タイミングを見て第1の立場に移行する立場、である。