朝鮮半島ではどうか。2023年の長崎県の報告書には、対馬から最も近い釜山の東三洞・凡方遺跡の発掘調査の結果が公開され、東三洞遺跡は次のように説明されています。

  • 8層(黒色腐食土層)と9層(明褐色混貝土層[7300年前=紀元前5300年のアカホヤと思われる])では、隆起文土器(紀元前5600~4700年と推定)が安定的に出土。
  • 黒曜石はすべての層で出土。うち帰属時期が明確なのは8・9層、7層、2層。
  • 8・9層では轟B式土器が出土し、九州地域前期に並行する時期であることが分かる。

図7は同じ報告書の凡方遺跡の調査結果です。最も古い土器は、約7300年前のアカホヤと思われる赤褐色の地層(Ⅷ層)の上から出土しています。日本産の黒曜石や轟B式土器も同じ地層から出土。

図7 凡方遺跡の地層に現われているアカホヤ(約7300年前)

「渡来人」は存在しなかった可能性が高い

日本人の成立については、従来の定説「二重構造説」によれば、朝鮮半島の渡来人が水田稲作などの先進技術を携えて日本列島に到来し、縄文人と混血して弥生人になり、現代日本人に続いているとされます。

この説が正しいとすると、これまで説明した事実との整合性から……

  1. 約7300年前の鬼界カルデラ大噴火の直後、無人だった朝鮮半島の日本寄りの沿岸(だけ)に、「突如」として「縄文人」のDNAを持った人間が出現した
  2. この出現の直後、ほぼ同時に出現した対馬の縄文人と交流し、現地で「隆起文土器」を製作した(あるいは作り方を教えた)
  3. それだけではなく、日本産の黒曜石を入手して朝鮮半島に持ち帰った

という極めて不自然な仮定をしなければなりません。

そもそも、「突如」として出現した朝鮮半島古代人が、日本列島の地理や特産品に詳しいはずがありません。前述のように、対馬では約7200年前の越高遺跡が最古とされているため、1と2はほぼ同時期の出来事ということになります。もちろん、こんなことが絶対にないとは言い切れませんが、極めて非現実的というしかないでしょう。