なお、この噴火による火山灰は赤っぽい色をしているため、「アカホヤ」と呼ばれています。
土器でも確認できる縄文人の朝鮮半島への移住
同じ結論は、九州と朝鮮半島から出土した土器からも確認することができます。
朝鮮半島独自かつ最古とされる土器は、「隆起文土器」と呼ばれます。同時期の九州の縄文土器は「轟B式土器」です。
従来の定説によれば、「これらの土器はそれぞれの地域の遺跡において、わずか数片しか出土しない場合が大半で、遺跡における在地の土器の出土量に比べると占める割合は極めて低い」とされてきました。だから、隆起文土器は朝鮮半島独自、轟B式土器は日本独自だというわけです。
しかし、2017年に発表された熊本大学考古学研究室の対馬・越高遺跡の発掘調査では、大量の隆起文土器が出土し、この定説が覆ったのです。次は同じ年の長崎新聞の記事からです。
対馬市上県町越高にある縄文時代の「越高遺跡」で[2017年9月]18日、市教委と熊本大は2015年から続ける発掘調査の現地説明会を開いた。発掘した土器片のほとんどが朝鮮半島系の「隆起文土器」で、朝鮮半島から渡ってきた人が暮らすため対馬で作ったものとみられる。
(中略)
隆起文土器は、作る際に粘土の帯を貼り付け、指や爪などを押しつけ装飾する。朝鮮半島南部で紀元前5400年~同4400年にかけて多く製作された。3年間の調査で出土した土器片約470点のうち、ほとんどが隆起文土器で対馬産粘土で作られていた。
では、本当に朝鮮半島からこの土器を携えて人々が渡って来たのでしょうか。
その後、2019年に熊本大学が公表した報告書によると、越高遺跡の開始年代は約7200年前となります。これは、放射性炭素年代測定法と、土器が出土した地層でほぼ確定しています。このことは、越高遺跡の年代は、約7300年前の鬼界カルデラ大噴火とほぼ同時期かその後ということを意味します。