今年の広島の平和記念式典において、ロシアとベラルーシを継続して不招待とし、パレスチナも不招待としながら、イスラエルは招待し続ける姿勢が問題になった。しかし岸田首相に口説かれて広島市長になり、オバマ大統領広島訪問やG7広島サミットを岸田首相とともに経験した松井一實市長にとって、日本政府の外交方針と完全に一体化するのではない方法以外の選択肢は、ありえなかった。
岸田チャイルドとしての松井一實・広島市長
広島市が8月6日の広島平和記念式典にイスラエルを招待していることが、波紋を広げている。雰囲気を悪くしているのが、松井一實・広島市長の記者会見における受け答えである。その高圧的な態度は「広島市長」のイメージに合わない、と多くの人々がSNSなど...
鈴木史朗・長崎市長のイスラエル不招待が、大きな話題となった。鈴木市長は、1951年から1967年まで長崎市長を4期務めた田川務氏を祖父とする人物である。田川氏は、1947年に当選して初代公選市長となった大橋博氏(日本社会党推薦)を破って、市長となった。
広島では、初代公選市長の濱井信三氏が、広島を平和都市として復興させるというビジョンを掲げてGHQや中央政界にも働きかけ、いち早く「広島平和記念都市建設法」に動いていた。出遅れた長崎市のためには、「長崎国際文化都市建設法」が可決された。
広島では、賛否両論が渦巻く中、広島県物産陳列館(現在の「原爆ドーム」)の保存が、ようやく1966年に決まり、広島平和記念公園と一体の施設として、広島市が管理していく体制がとられることになった。1967年まで市長を務めた濱井氏のリーダーシップの置き土産であったと言ってよい。その後、原爆ドームは、1996年に世界遺産として登録され、今日でも世界の平和主義の精神的シンボルの一つとなっている。
同じ年に世界遺産登録された宮島(の厳島神社の建造物と背後の弥山原始林)とあわせて、広島の重要な観光施設の一つでもあり、世界中から観光客を集めている。そしてG7サミットのような国際会議の背景施設の一つでもある。