G7首脳が並んで広島平和記念公園の慰霊碑に献花をするシーンなど、視覚に訴える場面は確かにあった。「グーバル・サウス」と十把一絡げにまとめたインドやブラジルやインドネシアなどの有力国の首脳への対応は手短に済ませて、ゼレンスキー大統領の来訪を歓迎した態度もあわせ、岸田首相ホストのG7サミットの成果が何だったのかといえば、「西側陣営の結束」を内外にアピールすることだった。
確かに、欧米諸国の指導者たちは、その「西側陣営の結束」アピールを、日本の岸田首相をホストにして広島で行うことは、好感していた。
思えば、岸田首相が有力な首相候補と目されるようになったのは、第二次安倍政権で長期にわたって外相を務めてからだ。その安倍=岸田外交の時代を象徴するシーンの一つが、2016年のオバマ大統領の広島訪問であった。G7サミットに臨んだ岸田首相の心中には、オバマ大統領広島訪問の成功体験の記憶があったはずだ。
2015年に平和安保法制を成立させた翌年、安倍首相はG7伊勢志摩サミットの後、オバマ大統領を広島に招き、ともに平和の尊さを訴える場面を作った。そのとき、被爆地を地元選挙区とする岸田外相が、オバマ大統領に平和記念公園の施設等を説明する姿が映し出され、日米同盟の精神的紐帯の強化の象徴として世界中に報道された。
実際、沿道では大挙して広島市民がオバマ大統領を歓迎していた。広島の人たちは、不可能と言われた復興を成し遂げた奇跡の町である広島の偉大な功績を、遂にアメリカの大統領も敬意をもって認めるに至ったと理解し、精神的な満足感を抱いていたのである。
その意味では、2023年G7広島サミットの狙いは、少し違っていた。事実上の戦時中の開催となった。「西側諸国」がロシアに勝ち切り、中国及びその他の諸国がロシアになびくのを強くけん制しようとするサミットだった。そのとき、広島は、分裂した国際政治の対立構造を前提として、「西側陣営」の一角を占める岸田首相が率いる日本政府の立ち位置に沿った形で、その外交目的に資するために、活用された。