同時にそのような表題はないにしても、高田保馬のように100冊を超える学術書とエッセイを使い分けて、エッセイや和歌で自分史を語った碩学もおられる注1)

多様な研究スタイル

ささやかな50年の研究歴ではあるが、地方在住の私が見ても変動が激しい現代社会では、そこに生きる市民、住民、国民、柳田國男の「常民」などのさまざまな人間像が群生して、時代のなかで変遷する社会規範や価値観なども交錯し、現代的なライフスタイルは文字通り多様化したとの印象が強い。産業化、都市化、高齢化、少子化、国際化、情報化などで特色づけられる現代社会の全体像が掴みにくくなったうえに、どの立場からしても現代社会がもつ課題は多くなるばかりである注2)

50年間の個別的研究では、私なりの判断により時代で求められる専門的テーマを選択して、都市に住む人々(市民、住民、若者、高齢者などに類別)の社会調査(質的調査と量的調査)を行ってきた。とりわけ札幌市は全国でも最先端の少子化が進む大都市であったために、隣接の高齢化分野そして地域福祉分野についても研究し、そのうえ札幌市で30年にわたり審議会や委員会での議論に加わり、政策過程にも参画し、自らの処方箋も提示してきた注3)。しかし、もちろん限界も多く、どこまで貢献できたかと問えば、忸怩たる思いがある。

「個人と社会」をめぐる「言説のゆれ」から独自性を探求する

なぜなら、社会規範だけを取り上げても、現代社会では競争と共存、格差と平等、均衡と闘争、移動と定住、持続的成長と持続的安定、公共性と私性、全体化と私化、ジェンダーとジェネレーション、コンフリクトと共生、管理と自発性など社会学の究極の課題である「個人と社会」をめぐる言説のゆれがあるからである。

当然のことに研究者の資質によって、これらのいくつかを選択し、研究の成果を提示することになるが、決定版には程遠い。研究者はそのささやかな一部を分担することで満足せざるを得ないし、その成果はすぐに乗り越えられる運命でもある。なぜなら、「学問上の仕事にはたえず進歩・・がともなう」(傍点原文 ウェーバー、1921=1962:142)からである。

普遍性と個別性の両輪