石破首相は、「政治活動」について、判例上の定義「政治上の主義もしくは施策を推進し、もしくはこれに反対し、または公職の候補者を推薦し、支持し、もしくはこれに反対することを目的として行う直接間接の一切の行為」を示し、この「目的」で行う行為に限定されていることを強調し、「慰労」は含まれないとの「解釈」を繰り返し述べている。

一方、田島議員は、「直接間接の一切の行為」という点を強調し、その範囲は極めて広いので「慰労」も含まれるとの前提で質問している。

石破首相の解釈を「限定説」、田島議員の解釈を「非限定説」と言うとすれば、要は、定義のうちどの部分を重視するかという「読み方」の問題である。

石破首相が言うように、「限定説」が日本語の読み方として自然であるように思えるが、難点は、現実に、政治家の政治団体における政治資金の収支報告において、「政治活動」が極めて広く解釈され、「非限定説」に近い考え方で、政治家の活動に関連する支出が収支報告書に記載されていることとの整合性である。

「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開」をするという政治資金規正法の目的(同法1条)からすれば、政治資金の収支を幅広く公開するのは望ましいことであるが、一方で、「政治活動に関する支出」に含まれるとして収支報告書に記載されると、その支出が、慰労や感謝、場合によっては遊興の目的もあった場合でも、その支出が「政治活動の支出」とされ、所得税の課税対象にならない。

実際の政治家の政治資金収支の処理は、政治家が政治的目的をもって行う活動を広く「政治活動」ととらえ、政治資金の支出について都合のよい「非限定説」で行う場合が多いのに、今回のような政治家個人宛の寄附の問題になると「限定説」をとるということについて、国民の理解を得ることは容易ではない。