昨日の記事では、「War Potential」という連合国の行政用語の「戦力」という日本語への陰謀論的な翻訳を通じた、憲法学通説によるオリジナルな憲法典の曲解についてふれた。

憲法9条2項では、「交戦権」概念も論点になるので、今回は、これについても付記として、ふれておこう。

日本国憲法9条2項は、「国の交戦権は、これを認めない」と謳っている。注意すべきは、憲法は、「交戦権」を放棄する、と言っているのではなく、「認めない(will not be recognized)」、と言っている点である。

なぜ憲法は「交戦権」を認めないのか。理由は簡単である。そんなものは存在していないからである。

国際法において、「国の交戦権(憲法起草テキストにおけるthe right of belligerency of the state)」などという概念は、存在していない。存在しているはずがない。そんなものが存在していたら、国連憲章2条4項の武力行使の一般的禁止原則が、付帯的な憲章51条の自衛権と7章の集団安全保障の規定と合わせて、有名無実化してしまう。「交戦権」は、国際法で存在してはならない概念なので、日本国憲法は「これを認めない」と宣言している。

それではなぜ日本国憲法は、存在していない幽霊のような概念をあえて取り上げて、「これを認めない」と念押しする条項を作ったのか。

第二次世界大戦中の大日本帝国が、明治憲法の「統帥権」規定を根拠にして、国家には自由に宣戦布告して戦争を開始することができる権利がある、などと主張していたからだ。

たとえば、戦時中に『戦時国際法講義』(1941年) や『戦時国際法提要上巻』(1943年)を著した信夫淳平は、次のように説明していた。

国家は独立主権国家として、他の国家と交戦するの権利を有する。之を交戦権と称する。

国家の交戦権は、交戦に従事する者の行使する交戦者権とは似て非なるものである。