猪瀬氏自身も第六章で、12月7日にスミスの訴願が米最高裁で受理され、16日から公開の口頭弁論が始まり、21日午前1時に却下されたと書いている。よって、キーワードは「ジミーの誕生日」というよりは「クリスマス休暇の前に」とする方が妥当ではなかろうか、と筆者は考える。

が、単なるこれだけの出来事を、単行本一冊の謎解き物語に仕上げる猪瀬氏の筆力はさすがである。筆者も21年6月の拙稿「太平洋に散骨されたA級戦犯の遺骨に纏わるエピソード」に12月23日のことを含めて2600字ほど書いたが、単に史実を書き綴ったに過ぎない。

太平洋に散骨されたA級戦犯の遺骨に纏わるエピソード
BBCは6月15日、「Hideki Tojo's ashes scattered by US, documents reveal(米国が東条英機の遺灰を散いた、文書が明らかに)」と報じた。高澤弘明日大講師がワシントンの国立公文書館で見付けた...

猪瀬書の史実の間違いは、ポツダム会談の主役の一人をスターリンではなく蒋介石と記述している(71頁)ことくらいか。確かに同宣言の署名の一人は蒋だが、これはバーンズ国務長官が日本と戦っていないソ連に代えて中華民国の蒋に差し替えた。しかも蒋の同意は、トルーマンがポツダムから電話を架けて宣言の内容を読み上げ、その場で取り付けた経緯がある。

終戦秘話③ なぜ米国は原爆を使わねばならなかったのか
>>>「終戦秘話①原爆投下の時間稼ぎだったポツダム宣言」はこちら >>>「終戦秘話②原爆投下ありきで削られた「日本の降伏条件」原案」はこちら ローズベルトは、1944年にコーデル・ハルが健康問題で...

それと、これは間違いではないが昭和天皇とマッカーサーの面談に通訳として立ち会った外務省の奥村勝蔵が、実は真珠湾攻撃の行われた日に最後通牒のタイプを打っていた大使館員その人であることを書き添えてあれば、更に興味深かっただろう。折角、奥村の手記も数か所引用しているのだし。

タイプは下手だが通訳なら ~ 天皇とマッカーサーの会話を繋いだ男
74年前の1945年9月27日、昭和天皇はマッカーサー連合国軍最高司令官と初めて相見えた。その日、2人は日本人の通訳を除いて人払いをし、面談の内容を秘すことを約束したといわれているので、面会時の会話の公式記録はないとされる。 ...