児島襄氏が『中央公論』に1970年4月号から1年間連載し新書化された『東京裁判(下)』(中公新書1971年刊)、及びこの裁判の大部分を傍聴した冨士信夫氏が1986年に自費出版し、後に講談社が出版した『私の見た東京裁判(下)』(講談社学術文庫1988年刊)から、この辺りの出来事を時系列に挙げると次の様になる(全て日本時間)。

  • 11月12日 判決・量刑言い渡し。
  • 同上    マッカーサーが減刑の訴願があれば19日までに提出せよと発表。
  • 同上    ブラナン弁護人が前記訴願とは別に、米最高裁に裁判の不法訴願提出を準備。
  • 11月22日 マッカーサーが連合国11ヵ国の代表から判決について意見を聴取。
  • 11月24日 マッカーサーが判決を承認し、刑の執行を命ずる声明を発表。
  • 同上    マッカーサーが第八軍司令官ウォーカー中将に、25日以降一週間以内の死刑執行を指 示。中将は刑場の用意は整っていると報告。
  • 11月25日 ロイター電が処刑立会人は第八軍憲兵司令官ら米人5人らしいと報道。
  • 11月29日 廣田・土肥垣担当のスミス弁護人がブラナン弁護人とは別に、両被告の判決再審査の訴願を米最高裁に提出。
  • 11月30日 マッカーサーが米最高裁への訴願に関する記者の質問に対し、米最高裁の決定を待つ旨を言明。
  • 12月7日 米最高裁がスミスの訴願を受理し、ブラナンの訴願と合わせて12月16日に聴取を行うことを決定。
  • 12月20日 米最高裁で16日から行われていた訴願の聴取が終了し、訴願が却下となる。
  • 12月21日 日本時間午前2時過ぎ、米最高裁の却下の報が日本に届く。
  • 同上    マッカーサーが午前9時35分、ウォーカー中将に23日午前零時1分から死刑執行を開始するよう指示。

上記の通り、マッカーサーは11月12日の死刑判決を受けて、24日に一旦、翌25日から1週間以内の死刑執行を命じた。が、29日にスミス弁護人から米最高裁に訴願が提出され、却下の報が12月21日の夜中に届いた。そこで24日からのクリスマス休暇に入る前、即ち12月23日に執行された。