今月はTVなど人目を惹く業界でも、SNSでの失言で仕事をなくす例が続き、「キャンセルカルチャーの猛威」がようやく国民の肌感覚になったようだ。3年前から議論を提起していたこの問題の第一人者としては、実に感慨をもよおす夏であった。

「炎上」と「論争」の違いとは? 実際に“キャンセル・カルチャー”を経験した歴史学者が斬る | AERA dot. (アエラドット)
「キャンセル・カルチャー」という言葉を知っているだろうか? 著名人の発言を問題にして、不買運動を起こしたり、番組から降板させたり、講演会を中止させようとするなどの動きを指す言葉で、近年の欧米で頻繁…

そうはいっても因果なもので、もともと歴史学者をしていると、オンラインでの近日の流行に見えるキャンカルにもまた、過去から続く人類史の暗い伏流が流れていることに気づいてしまう。

立花隆『日本共産党の研究』(連載1976〜77年。ヘッダーも同書より)といえば、連載当時の政治情勢まで動かした戦後ジャーナリズムの名著である。別の理由で読んでいた折に、まさにいまの日本を捉える上でぴったりの叙述を見つけた。

戦前の一次史料の引用は、カナをひらがなに改めて、以下に写すと――

「以上の手厳しい査問の結果〔、〕小畑は自分が政治的水準が低いのと能力がない為め〔、〕客観的には自分が従来やつて来た言動は反党的〔・〕非ボルシェビキー的で、客観的にはプロバカートルであることは自認しましたが〔、〕決して意識的なスパイではないと弁明しました」(袴田予審調書)

この「客観的には」というもののいい方は共産党独得の用語法で、「客観的な事実問題としては」の意味ではなく「党側の主観的な目への映じ方からすれば」という意味に用いられる。党のまったくの主観的な判断に対して、ことばだけ「客観的」ということばを用いるので、何となく客観的な判断ではないかと思わせる、恐るべき用語法である。