イスラエルの問題を看過することは、市民の声を無視することに等しい。そういった苦悩を、鈴木市長が抱えていたはずだ。平和宣言の中でイスラエルを名指しで糾弾することは避けながら、何も気にしていないかのように参列してもらうこともまた避けた。それが長崎市民のために長崎市長として長崎市の平和祈念式典を主催する鈴木市長の判断だった。
これに対してイスラエルのコーヘン大使は、「(鈴木)市長が式典乗っ取った」と意味不明な発言をしたと報じられている。式典が長崎市が主催する行事であることを知らない誤解にもとづく、又はそれを政治的動機で意図的に無視した発言である。
イスラエル駐日大使、原爆の日の式典めぐり長崎市を批判 「市長が式典乗っ取った」(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース
(CNN) イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使は5日、長崎市で原爆の日の9日に開かれる平和祈念式典に招待されなかったことについて、長崎市長が安全面の懸念を「でっち上げている」として非難した。
これに日本の官僚が、長崎市長よ、長崎市民のことなど忘れ、霞が関の官僚の負担のことをまず考えて行動せよ、と言わんばかりの態度で相乗りしている。
もちろん、イスラエルを招待しないことに、一定の政治的含意が生まれることは当然だろう。ロンドン大学LSE、ジョージ・ワシントン大学、タフツ大学フレッチャー・スクールで、国際政治経済、国際法、国際関係の修士号を取得している鈴木市長が、政治的含意に気づいていないはずはない。
ただ、政治的含意を裏付ける理由について、鈴木市長が、国際法や国政政治の知識を駆使して、イスラエルの評価を披露するとしたら、式典開催責任者としての鈴木市長としては踏み込みすぎだろう。政治的事情を把握したうえで、しかしその「政治的事情」それ自体ではなく、ただ政治的事情がもたらす市民の懸念に配慮して、判断をするのは、長崎市長として妥当なことだと言える。