レーガン大統領閣下
私の人生に深く刻まれた体験を閣下に知って頂きたくペンを取りました。
私は祖父が硫黄島の戦いの悲惨と恐怖を語るのをよく聞かされ、海兵隊員当時の写真を見、書物も読みました。それが1985年2月に現実になりました。その戦場に連れて行ってくれたのです。米軍の輸送機が東京から南の小島に運んでくれました。日米の「平和式典」の場に着くまで誰もが無言でした。大きな記念碑の両方に日本関係者と米国関係者が座りました。式は両国語で行われ、僧侶が焼香を終えると牧師が説教し、軍楽隊が両国国家を吹奏しました。米国の将軍が式典に寄せられたメッセージを代読しました。
あの時あの場で何が起こったかを閣下に見て頂きたかったです。両国の未亡人や子供達が互いに近寄って抱き合い、身に付けていたスカーフや宝石などに思いの丈に託して交換し始めたのです。男たちも最初は躊躇いがちな握手でしたが、やがて抱き合うや声を上げて泣き出したのです。
ふと気が付くと、誰かが私の頭に帽子をのせてくれました。かつての日本軍人です。笑顔で自己紹介し、その軍帽をくれると言いました。祖父が近づいて話し始めました。若い私がこの場でこの体験を分かち合っているのを二人は喜んでいる風でした。何を話していたのか判りません。余りに感動してしまったから。
様々な思いが駆け巡りました。40年前、今は老人となった二人は摺鉢山で互いに殺し合おうとしていた。倶に天を戴かずと誓った敵同士が今、互いに抱き合っている。40年前、ここは砲丸や銃弾が飛び交い、死と憎しみに満ちていた。それが僅か40年の間にどうしてこのように変わり得たのか。
私には余人には知り得ない何かが判ったような気がしました。昨日の敵が今日の友となり得ることを、祖父や祖父の手を握りしめている旧日本兵によって、全世界の人々に示してもらいたいとさえ思いました。米国人と日本人の二人は各国の人々に平和の大使として共に語り掛けることが出来ると感じたのです。中略