たとえば年収の多寡、住んでいる場所、勤務先の規模や知名度、結婚の有無や子供の数、そうした変数で他者比較をして劣等感を感じているのは厳しい言葉で言うと「青さを感じさせる感情」でしかない。

その理由はシンプルで、他人のいい部分を偏重的に情報収集をして曲解して解釈をしているためだ。たとえば筆者は労働時間が減少することを受け入れて、子育てを受け入れている。

もしも人生にABテストができるなら、きっと子供を持たず仕事にフルインベストメントしている人生の方が、収入も資産も今よりもっと多いことは明らかである。

だが、それはもう個人の価値観による選択だ。自らの意志で人生の意思決定をしているのだから、自分より収入や資産が多い人をうらやむことはしないし、そうでない人を下に見ることもない。

自分は自分の人生の幸福度を最大化させるための戦略を選び続けるだけであり、他人は他人の価値観で違った戦略を取るはずだ。

そう考えると、他者と自分を比較すること自体がナンセンスで、時間のムダでしかないと分かる。比較できると思っているのは、本来は水平比較不可能な変数同士で優劣を論じることが可能だと考えており、視野狭窄と言わざるを得ない。40代となればそのあたりの柔軟性は求められるだろう。

無駄なプライド

若い頃は「なんでも教えて下さい」と素直に相手に教えを請い、相手も若い人なら親切に対応してくれる。だが、40代以降は過去の実績や経験がある分、それが無用なプライドにつながりやすい。

筆者がサラリーマンの頃、アメリカ由来のITシステム導入の部署にいて子会社の社員を集めて「システムが変更になります」と周知したところ、大変な反発を受けた。

「現場の俺達の苦労も知らないくせに上で勝手に決めるな」という怒りの声や「自分たちはこれまでこのシステムでうまくやってきたから新システムなど要らない」といった意見が多かった。

だが、冷静に現場から上がってきた意見を分析しても、特に決定的なデメリットにつながるものはなかったので、社として導入を決定することになる。