『Babygirl』はヴェネツィア映画祭で6分間のスタンディングオベーションを受け、キッドマンは最優秀女優賞(ヴォルピ杯)を獲得した。しかし、アカデミー賞では無視され、ノミネートすらされなかった。

ハリウッドでは、アカデミー賞のノミネート基準が不透明であることが度々問題視されている。女性監督の作品や、女性がメインの映画はしばしば過小評価される傾向があり、受賞歴が豊富なキッドマンですら、公正な評価を得られていない可能性があるのだ。

このような現象もまた、ハリウッドが女性に対して「完璧であること」を求めすぎる一例といえるのかもしれない。

 

「完璧な女性像」からの脱却

ハリウッドでは、女性は美しく、完璧な妻や理想の母であることを求められることが多い。スクリーンの中でも外でも、女優たちは「非の打ちどころのない存在」であることを期待され、少しでもそのイメージから外れると批判の対象になる。しかし、ニコール・キッドマンはそんなステレオタイプに挑戦し、自らのキャリアを通じてその枠組みを壊そうとしている。

最近のキッドマンは、「崩壊しつつある母親像」の役柄が増えているとされるが、彼女自身はさらにリアルで人間味のある役を演じたいと考えている。

「私は、完全に崩れ落ちたような役を演じることにすごく前向きです。」
「どこにあるの? 私にその役をくれない?」

ハリウッドにおいて、女優は長年にわたり「完璧な女性像」を押し付けられてきた。だが、キッドマンはその常識を覆し、「人間的な弱さや欠点を持つ女性」の役をもっと演じたいと語る。これは、彼女が「スーパーマン」と呼ばれることを嫌う理由とも通じる。

彼女は、ただ強く美しい存在として称賛されるのではなく、よりリアルな人間としての側面をスクリーンで表現したいのだ。「常に完璧であることを期待されるのではなく、ありのままの人間らしさを演じたい」――それが、キッドマンの目指す新たなステージである。