しかし核廃絶を共通目標として、日本被団協をはじめとする社会運動を指導してきた団体が、ある種の共通性を被爆者の間に作り出してきたのもまた、事実だろう。核廃絶も包み込む共通の土台は、人道主義にもとづく平和主義だ。被爆者ではないわれわれも、政策的・イデオロギー的立場にとらわれて、その共通性を見失うことがないようにしたい。
今年8月、長崎市長がイスラエルを平和祈念式典に招待しなかったことが話題となった。実は広島でも、ロシアを招待しないならイスラエルも招待するべきではない、という被爆者からの意見はあった。10月11日の会見では、日本被団協の箕牧智之代表委員は、「ガザの団体が受賞すると思った」と述べつつ、「ガザがね、子どもがいっぱい血を流して抱かれている」と述べて涙ぐんで絶句した。その姿と言葉は、中東諸国をはじめとする世界各国で報道された。
今回のノーベル平和賞をめぐり、政策的観点からの議論が深まること自体は、悪いことではないし、自然なことでもある。しかし、だからといって、日本被団協の存在価値、そして日本の被爆者の功績が、矮小化されてしまうことだけはないようにしたい。
私は平和構築と呼ばれる国際社会の政策領域を専門に研究しているため、世界各地の紛争(後)国を訪れたことがある。といってもジャーナリストではないので、最前線の戦場に行くことはない。戦争を経験した国に生きる人々の様子を見て、話を聞かせてもらうのだ。
どの国にも立派な方はいる。戦争で悲惨な被害を受けながら、なお前を向いて未来を構想して人並外れた献身的な努力をされている方は、世界各地にいる。
しかし日本の被爆者の方々のように、原爆の惨禍の後の後遺症に悩みながら、なお被爆証言活動を中心とした広範で長期にわたる平和運動を集合的に行い、仲間を誘い、訪問者に影響を与え続けている事例は、際立っている。
世界に誇るべき日本の平和主義の文化の結晶である。