ウクライナ政府関係者が好む「ソ連がアフガニスタンを侵略して疲弊して敗走したように、ロシアはウクライナを侵略して疲弊して敗走する」という物語は、現在進行中の文化政策の流れとも合致するわけである。
だがこれは、何らかの妥当な洞察を含んだ物語だろうか。あらゆる軍事行動には敗北の可能性が内包されている、という一般論をこえて、何らかの意味があるだろうか。
この問いに答えるには、以下の諸点に関して検討をしなければならない。ロシアにとって、ウクライナが、アフガニスタンと違っている点である。
第一に、介入の仕組みが違う。ロシアは、新たに併合した自国領土を確保するために戦争を継続している、という立場をとっている。クリミア及びウクライナ東部地域の分離独立運動を助け、遂には自国の法律にのっとって、国内的には併合したと言ってしまう措置をとってしまった。これは単なる外国領での軍事介入とは、やはり異なる。ソ連が、アフガニスタンを併合しようとした経緯はない。
第二に、関係の重要性の認識が違う。そもそもロシアが、クリミア及びウクライナ東部を併合するまでの立場をとったのも、ロシアにとって、ウクライナ、特にクリミア及び東部地域が、非常に重要だからだ。ソ連にとってのアフガニスタンの重要性とは、全く異なる。歴史的・文化的・人的つながりの度合いが違う、ということでもある。
9年間のソ連のアフガニスタン侵攻で、1万5千人のソ連兵の犠牲が出たとされる。ロシアは、わずか過去2年半の間で、少なく見積もっても6万人は死者を出しているとされる。それなのに止まる気配がない。これは、ロシアがそれだけ大きな関与をするに値する重要性をウクライナに見出していることを意味する。
第三に、事態の進展の様子が違う。ソ連のアフガニスタン侵攻は、アフガニスタン人の激しい反発を引き起こし、国土の全域で「ムジャヒディーン」と呼ばれた人々によるゲリラ戦の闘争を巻き起こした。