観察対象となったのは、帯状皮質(Cg1)と呼ばれる前頭前野の一部。
ヒトの思考や感情をコントロールする領域に近い機能を持つと考えられ、いくつかの層(Layer)から構成されています。
なかでも研究チームが着目したのは、深い階層であるLayer 5の錐体(すいたい)ニューロンという細胞群でした。
ストレスを受け続けたマウスでは、まるでブレーカーが落ちた部屋のようにLayer 5の活動がガクッと下がってしまうことがわかっています。
ここで登場するのが「笑気ガス(N₂O)」。
研究チームは意欲を失ったマウスに笑気ガスを吸わせ、そのときのLayer 5がどんな変化を見せるのかを綿密に観察しました。
するとどうでしょう。
暗く沈んでいたこの深い層の細胞たちが、一気に活動を取り戻す様子が確認できたのです。
しかも、ガスを吸っている最中だけでなく、吸引が終わったあともしばらく持続しました。
研究チームはマウスの行動テスト(尾を持ち上げられたときにどれだけ動こうとするか、甘い水をどのくらい好むか、など)を行い、笑気ガス吸入後にうつ病様行動が大幅に改善されることも確認しています。
さらに注目すべきは、NMDA受容体を強力にブロックする薬剤や遺伝子操作を施しても、笑気ガスによるLayer 5活性化がほとんど損なわれなかった点です。
つまり、笑気ガス自体にはNMDA受容体拮抗作用があるものの、少なくともこの深い層の活性化を引き起こす主因は別のルート(SK2チャネル阻害)にある可能性が示唆されました。
より詳しく調べてみると、脳細胞の興奮を調整する『SK2チャネル』が笑気ガスによってブロックされ、結果として神経細胞が興奮しやすいモードになったのではないかという結論に至ったのです。
これらの結果は「笑気ガスが脳深部の錐体細胞をスイッチONにし、それがうつ症状を短時間で和らげる」という仮説を複数の実験で裏付けるていることになります。