現大阪城天守閣
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ビジネス
2025/04/04
豊臣時代・江戸時代・現在の大坂城天守閣を比較する
その大坂城には、それぞれの時代に三回にわたって天守閣が築かれた。豊臣秀吉のもの、徳川秀忠のもの、そして、昭和天皇の即位記念に建てられた鉄筋コンクリートのものだ。そしてややこしいことに、現在のものは、徳川時代の天守台の上に、豊臣時代の意匠を基本にしつつ壁は徳川風に真っ白な漆喰で固めた物なのだ。
歴史考証も何もないが、清楚にして華麗な「ええとこ取り」でなかなか良くできているので、その後の、復元天守閣の規範のようになった。これはこれで、昭和の名建築なのだ。
ここでは、三代の天守閣をイラストにしてみたし、大阪城天守閣のなかでは、豊臣時代や江戸時代の大坂城を復元した模型も展示されている。
ただ、もし現存のよその城の天守閣で、その姿を想像しようとするなら、豊臣時代のものは、伏見桃山城天守閣がいちばん近いイメージだし、映画のロケではよく大坂城として登場する。

伏見桃山城
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江戸時代のものは、名古屋城天守閣が大坂城のものを一回り小さくしたもので、デザインはよく似ている。

名古屋城
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それから、豊臣時代の大坂城はすべて焼けたが、実は現存する遺構がある。本丸北側には山里丸という風雅な庭園がある快適な御殿があったが、滋賀県の竹生島都久夫須麻神社の唐門はここの極楽門を移したもので、豊臣時代の大阪城の唯一の遺構である。
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