黒坂岳央です。

「とにかく忙しいのはダメ、暇になれ」このような提案がなされるシーンを非常によく見る。

筆者自身、この意見の意図はよく理解できるし暇を作ったからこそ、長期的展望で人生の生き方を見直して独立などにつながった。なのでこれ自体は正しい意見と感じる。

だが一方で「過ぎた暇」は人と人生を狂わせてしまうと考えている。結局、多忙すぎても暇すぎてもダメで、適度な忙しさが人生には必要なのだ。

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暇すぎて狂った人たち

これまでいろんな人を見てきたが、暇すぎて狂っていった人たちはそこそこいた。

これは人伝いに聞いた話だが、投資で10億円以上の利益確定をした人物がいた。彼は会社を退職してフルFIRE。だが、そこから転がり落ちるように転落していったのだ。

海外を転々としたり、観光地での写真をSNS投稿をしていたが、だんだん虚しくなり酒場で酔いつぶれるまで酒を飲み、最後には鬱に近い状態で毎日ベッドの上で泣き続ける、という状況になったという。

元々温和で明るい性格だったのに、未来に悲観し店員さんなどに当たり散らし、そんな自分自身を嫌いになってますます自己嫌悪のループに陥っているというのだ。

こんな極端な例を出さずともわかりやすい事例はそのへんに転がっている。定年退職後、第二の人生を謳歌するつもりが、些細なことでキレやすくなり、将来不安で老後鬱を発症したり、店員さんや駅員さんに怒鳴りつけたりする老人である。

過ぎた暇は人間から社会性を奪い取り、自己肯定感を下げ、将来不安を高め、脳がもうろくするなどろくなことがない。

多忙より暇が辛かった体験

自分自身、若い頃にニートをしていた時期と、独立してビジネスが軌道に乗って数ヶ月何もせず遊び呆けていた時期があった。今思い返すと人生の地獄そのものであった。

最初こそゲームをしたり買い物をしたりと充実していた。しかし、それが続くと楽しくない。朝起きても、やることがない。一方で、家族は忙しく頑張っている。その様子を見ていると、ますます虚しさが募る。休日になっても、何の喜びも感じられなかった。