以上、今回の自民党総裁選を通じて、如何に総裁選における党員票の影響が強まっているか、そして、それは、良くも悪くも、「国民」全体の意識や傾向と実は乖離があるのではないか、ということを述べて来た。

これは、悲観的に見れば、日本は本当に議院内閣制なのか、ということにもなる。建前では、わが国の制度上、総理を選ぶのは国会議員である。国会議員の多数決で総理は選出されることになっている。

しかるに、今回の経緯を見るまでもなく、総理は実質的には、自民党総裁選で決まるものであり、そしてその総裁選では、上述のとおり、自民党員の存在感が強まっている。しかも、その党員は、必ずしも「民意」の傾向を如実に代表しているわけではないというのも、見て来たとおりである。

改めて言うまでもないが、議院内閣制(間接民主制)の建前としては、「色々なことを知悉していて、国民を代表する叡智をもつ国会議員たちに国のトップは選んでもらうべきであり、日常の雑事に追われて大局的に物事を必ずしも見られない国民が直接に総理を選ぶよりは(直接民主制)、制度として良いのではないか」ということが、大前提にある。

自民党の国会議員たちが、党員たちの顔色を伺いながら総裁選びのための一票を投じ、しかも党員票と国会議員票の割合は、全体しては半々ということであれば、そしてその結果選ばれた自民党総裁が総理になるということであるならば、これはもう、実質的にも外形的にも、議院内閣制に基づいて、国会議員の英知を結集して国のトップを選出しているとは言えないようにも見える。

そんな中、最後に希望的なことを、若干皮肉も込めつつ書くならば、本稿の標題にもあるようにある程度の勢力を有してその勢力が皆「自民党員」になりさえすれば、時に日本のトップを変えることができ、日本の政治に、日本の社会変革に影響を持てる、ということである。

乱暴に書けば、ある集団が、大量にその集団の構成員を自民党員にすることに成功すれば、ある意味「乗っ取れる」ということだ。自民党員になる要件は、平たく言えば国籍と年会費であり、金額的にも全く高くない。