旧11宮家は男系では伏見宮家の系統だが、伏見宮家が皇位継承の歴史において継承権がないような扱いだったという印象操作をしている人たちがいる。たしかに、比較的、遠縁であるから、閑院宮とか有栖川宮のほうが相対的に有利だったかもしれないが、継承権は間違いなくあると自他共に認められてきたのである。
御三家のなかで水戸家の血筋は紀伊や尾張よりチャンスは薄かったが、最後は水戸の血統の慶喜になったが、そんなものである。
皇位継承を論じるなら、伏見宮家の歴史をきちんと踏まえて、骨太の議論をすべきだ。
一部の識者は、保守派の人たちの勇み足を捕まえて、嘘だといって論破したつもりでいるが、全体的な構図として見て伏見宮家の皇位継承権を否定するような話でない。
そのあたりについては『「女系天皇では解決できない」皇室評論家が旧宮家排除論に反対する理由』という記事を書いたので、詳しくはそれを見ていただきたいが、ここでは伏見宮家の歴史について深掘りして紹介しておきたい。
11宮家については、「旧宮家11家についての恣意的な議論を排除すべき」を書いたが、これはとくに、創設から幕末までを新たに作成した系図と共に論じた。
旧宮家11家についての恣意的な議論を排除すべき
皇位継承問題にいて旧宮家(旧皇族)が話題になっているが、それについての正しい知識をもってもらいたいということで、新刊『系図でたどる日本の皇族』(宝島社)で詳しくきちんと論じている。今後の議論の土台にしていただければ幸いである。
...
世襲宮家は、鎌倉時代から始まり、江戸時代に確立した。古代において皇族の範囲についての共通認識があったかどうかは分からないが、律令制では孫ないし曽孫までが王として扱われ、それ以下は臣籍降下(皇族がその身分を離れ、姓を与えられて臣下の籍に降りること)した。