はっきり言おう。トランプ氏は、仮にアフガニスタン共和国政府が瓦解する結果を招くとしても、これ以上のアメリカ軍のアフガニスタン駐留はありえない、と判断し、タリバンとの交渉をまとめてしまったのである。当時のガニ大統領の態度を考えれば、政府をまじえている限り、アメリカ軍は永遠に撤退できない、とトランプ氏が感じていたとしたら、そういうことだっただろうと思う。トランプ氏にしてみれば、だからこそ、自分が大統領職にとどまり、21年4月に計画された撤退を完成させたかった、と思っているのだろう。

バイデン氏が大統領に就任した21年1月、アフガニスタンからのアメリカ軍の完全撤退案は、宙に浮いた形になった。撤退はなくなるのではないか、という観測も流れた。ブリンケン国務長官をはじめとする閣僚たちは、撤退そのものを白紙に戻すべきだと意見を持っていたとされる。しかし最後はバイデン大統領が、トランプ大統領が決めたこと、と説明しながら撤退をする、という方針を決めた。ただ逡巡した迷いの期間が生まれたため、4月の撤退は不可能となり、8月末までずれこんだ。おそらくは現場では撤退計画の変更等の混乱もあったのではないかと思われる。

悲劇を生んだのは、5月からの軍事攻勢をすでに準備していたタリバンが、アメリカの撤退の延期に、反発したことだ。そのため、アメリカの撤退に協力することなく、タリバンは共和国政府を追いつめ始めた。

アメリカの撤退が始まるのと、タリバンの大軍事攻勢が始まるのが同時になったことが、共和国政府のパニックに拍車をかけた。ほとんどの場合、共和国側の兵士は戦うことなく逃亡した。そしてこれによってアメリカの撤退計画にも大きな狂いが生じ、持ち帰ったり処分したりする予定だった兵器や装備品を置き去りにせざるを得なくなるような事態も生まれる悪循環に陥った。その混乱の帰結として、カブール空港での惨劇が起こった。

バイデン大統領は、「トランプ氏が決めたこと」という言い訳を、「自分は息子を交通事故で亡くしている」といった心情で補って、撤退の正当化に努めた。だが、撤退そのものの是非と、混乱した稚拙な撤退は不可避だったか、という二つの論点が錯綜する中、アメリカ国民のバイデン大統領に対する支持率は急落した。