ファン・フェルナンデス諸島は3つの無人島からなり、彼らが泊まったのはそのうちの一つでした。
この島は旧名を「マサティエラ島」といいましたが、チリ政府が観光客を呼び込むため、1996年に「ロビンソン・クルーソー島」と改名しています。
そしてセルカークの無人島生活をしたのが、このロビンソン・クルーソー島だったのです。
しかし、なぜセルカークはたった一人で無人島に取り残されることになったのでしょうか?
たった一人のサバイバル生活が始まる!
無人島での休息を済ませた後、船長のストラドリングは再び海に出ようとしました。
しかしセルカークは「シンク・ポーツ号はもはや航海に耐えられない」と船の耐久性に強い疑念を抱いていたのです。
そこでストラドリングを含め、仲間たちに「島に残って、別の船が通るのを待とう」と提案しました。
ところがセルカークの言い分は一笑に付され、誰一人として彼に賛同する者はいませんでした。
それだけでなく、日頃からセルカークの起こす揉め事に嫌気がさしていたストラドリングは「では、お前だけ島に残るがいい」と彼を置き去りにしたのです。
セルカークはすぐに後悔して、海に出たシンク・ポーツ号を追いかけましたが、無駄でした。
船の影はどんどん小さくなっていき、水平線の向こうに消えていったのです。
ただセルカークの後悔に反し、彼の読みは当たっていました。
シンク・ポーツ号はその後、多くの乗組員とともに海に沈んでしまったのです。
ストラドリングと他の7名の乗組員だけが生き残りましたが、スペイン人に捕まり、結局はペルーのリマに投獄されています。
そんなことはつゆ知らず、セルカークの無人島生活が始まりました。