〝ないこと〟を証明するために山が大規模に削られ、そこかしこにトレンチ(細長い溝)が縦横に掘られていた。事業者が気の毒に思えると同時に、これは規制ハラスメントではないのかと感じた。

2013年8月に私は、論壇誌に「『悪魔の証明』を迫る規制委員会」(WiLL誌、2013年8月号)を著してこの問題の深層を説いた。原子力規制委員会および原子力規制庁は独立性の高い組織として発足したが、敦賀原発の現場やこの問題に関連する規制側と事業者のやり取りを見て、規制側はもっと真摯に事業者や立地自治体との対話を行うべきだと感じた。それをしないとりわけ規制委の姿勢は「独立」ではなく、「独善」であると断じた。

当時すでに規制委は日本原子力発電の敦賀原発2号機の下を走る地層を活断層の恐れがあると認定していた。それを否定する原電と真っ向から対立するが、原電側の反論をまともに聞こうとしない姿勢は問題だと感じたのである。

当時の規制委員長は田中俊一氏だったが、氏は根っからの確信的反原発人物である。田中氏の基本思想(田中ドクトリン)は新生なった原子力規制体制の下で“審査不適合第一号”の烙印を押すことである。つまり新規制体制へ人身御供(生贄)を捧げることである。その生贄として敦賀原子力発電所2号機が目をつけられたのである。

そうすることによって、規制委はなお一層神性を増しやおら独裁的権威を高めていくのである。

なぜ敦賀2号機が人身御供になるのかーーそれは日本原子力発電こそが正力松太郎体制(1957年)のもとで日本の商用原子力発電所を最初につくった本家本元だからである。日本の発電用原子炉の息の根をとめる象徴ともいえる。ちなみに正力体制に真っ向から反対した人物がいた。時の経済企画庁長官・河野一郎氏、河野太郎氏の祖父である。

どうする原電?

道は二つしかない。

ひとつは行政訴訟、残るは再申請。

現実的には後者しかない。