トランプ大統領が多様性を批判し連邦政府が方針転換して以降、わが国でも多様性社会を批判する意見が散見されるようになってきた。

しかし多様性社会は、少数者が「むしろ旗」を立てて多数派を攻撃する社会ではない。むしろ、両者が互いを理解して共に生きていく社会である。

トランプ大統領は多様性を否定したが、ドジャースには日本だけでなく非米国籍の選手が多数所属している。米国の研究開発力は、他国から流入した外国籍の研究者によって支えられている。電子メールは聴覚障害の研究者が開発した技術である。多様な人々が協力することで経済社会は前に進む。

わが国は、少数者の存在を認識しようという意識が乏しい。少数者が強い声で、時には「むしろ旗」を立てて批判せざるを得ない原因である。まだ「むしろ旗」はたっていないが、レストランのモバイルオーダに戸惑う高齢者は多く、視覚障害者も利用できない。改善が遅ければ強い批判が出るかもしれない。

総務省は昨年に引き続き、情報アクセシビリティへの対応が進んだ製品サービスを好事例として報道発表した。僕も審査に参加したが、障害を持つ管理職が業務できるようにアクセシビリティに対応した人事管理システムなど、高く評価できる製品サービスが生まれつつあると実感した。

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多様な人が互いを理解して生き生きと労働する、生き生きした企業が誕生することが多様性社会である。地域でも同様である。たとえば認知症を発症した人を近隣から隠すように生活するのは、本人にも家族にも悲劇。近隣が、行政が、認知症を発症した人の存在を認知し、その人も包摂して生き生きした地域を作っていくのが、多様性社会である。

繰り返すが、「むしろ旗」で他者を攻撃するのは多様性社会ではない。