「全米唯一の全国紙、大谷翔平の今季1号は「二塁打にすべきだった」と寄稿記事多くの米メディアで「議論呼ぶ」と見出し」
ファンの行為はつまみ出して出入り禁止にすべきものだし、テレビ中継でも繰り返し再現して、せめて、「これは微妙でカブスのファンは納得しないかもしれないですね」くらいは、いってほしい。
パリ五輪のときも日本に不利な判定にはほとんど断定的に誤審だといい、電子式で行われた組み合わせの抽選にまで細工したのでないかといわんばかりだったが、日本選手に有利な誤審もあったのに度が過ぎていた。
それに、大谷選手という人気者だからケチを付けてはいけないというのも嫌らしいところだ。日本では人気があると過度に遠慮してしまう。そして、ある日、突然、手のひら返しというのが日本社会の弱点だ。
同じことしても誰がやったかで基準が違う。これでは公正な社会は成立しないし、科学技術も含めて発展も阻害される。たとえばSTAP細胞の騒動でも、小保方さんへの好感度をどう感じるかだけで最初は過大評価し、あっという間にリンチになった。どちらも極端すぎた。
杉田水脈さんなんか他の人がやっても絶対にたいして叩かれないことまでメディア・リンチだけでなく、法務局から裁判所まで虐めに加わっている。
大谷選手が真のヒーローであることになんの異議もないが、アンタッチャブルにするのは本人のためにも社会のためにも国際親善のためにもよくない。
昨年の水原通訳事件でも、お金の出し入れを他人にまかせて何十億円も失うことは青少年にとって良い見本のはずがなかった。大谷選手が、自分の失敗をわかりやすく説明して、こどもたちに金融リテラシーの重要性や他人にすべてをまかす怖さを語ってくれたら、もっと尊敬するのにと思ったが、間違っているだろうか。