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昨年8月にウクライナ軍がロシア領クルスク州に攻め込んでから続いていたクルスクにおける攻防戦が、ウクライナ軍の敗走で、終結を迎えている。
作戦を開始したウクライナに、合理性のない作戦であった。
ロシア側にも被害を出したことは間違いないが、ウクライナ軍も精鋭部隊を投入したうえで、甚大な損亡を被った。ロシア側の発表では7万人のウクライナ兵が殺傷されたという。もちろんこの数字の信憑性は、わからない。しかしここ数日だけをとっても、撤退中のウクライナ軍が攻撃されている様子などが確認できる。兵力・兵器の双方で、甚大な被害を出したことは、間違いない。
人的物的資源で劣るウクライナは、一人でも多くロシア兵を殺せばいい、という立場には立てないはずだった。ロシアの侵攻を排除するという目的にそって、よりいっそう戦略的に効率的な作戦が求められているはずだった。そのウクライナ側が、大規模な損害を恐れない作戦をとった。この作戦の帰結の責任は、ウクライナ政府指導部が負うべきである。
もっともこれには「ウクライナが何を失敗しても、その責任はただプーチンにだけある」といったウクライナ応援団的な主張もありうるだろう。
ウクライナに同情的な日本の軍事評論家層は、こぞって空想的なクルスク作戦の意味を吹聴し続けた。あまりの状況に、私はたまらず名指しの批判記事を書いたほどだった。

ウクライナの「クルスク侵攻」で浮き彫りになった、世界とは異なる「日本の言論空間の事情」(篠田 英朗) @gendai_biz
ウクライナ軍がロシア領クルスク州への侵攻を開始してから、約一か月がたった。初期の段階では、一般の方々のみならず、数多くの軍事専門家や国際政治学者の先生方の間でも、ウクライナの「戦果」を称賛する高揚感が広がっていた。今にして思うと、瞬間的なお祭り騒ぎのようだった。
その結果、「親露派」としての糾弾を受けることになった。しかし、言うまでもなく本質的な問題は、篠田が「親露派」であるかどうかではなく、クルスク侵攻に合理性があったのかどうかであった。