一見するとややずんぐりした体型だが、「和製ロナウド」の異名通り迫力十分のドリブル突破が武器だった森本。しかしそのプレースタイルゆえ故障も多く、キャリア中盤からはケガとの闘いを強いられ、UAEのアル・ナスルを経てJ復帰。

千葉(2013-2015)、川崎フロンターレ(2016-2017)、アビスパ福岡(2018-2020)と渡り歩く度に徐々に輝きを失っていき、2020シーズンには再び海外に活躍の場を求め、ギリシャ3部のAEPコザニ(2020-2021)、パラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョ(2021)、台湾社会人甲級の台中Futuro(2022-2023)、セリエDのアクラガス(2023-2024)と移籍を繰り返す。

度重なる負傷や新型コロナによるリーグ戦中止、書類不備による登録不可などといった不運も重なり、35歳となった2024年、20年に渡るプロ生活にピリオドを打った。

五輪代表として北京五輪に出場したもののチームは3戦全敗に終わり、A代表でも印象的な活躍が出来なかった(10試合3得点)上、キャリア晩年には飲酒運転で事故を起こすなどの不祥事もあった森本。「早熟」という印象を残したが、セリエAで通算7シーズンも過ごしたことは、その実力が認められたことの証明でもある。

森本のサッカー人生を決定付けたのは、15歳の彼を大抜擢したアルディレス監督の慧眼であり、実戦経験を積ませたことにある。今後、北原がレギュラーポジションを奪取できるかは本人の努力も必須だが、松橋監督が忍耐強く起用できるかどうかにかかっている。

久保建英 写真:Getty Images

久保建英の記録

現在、レアル・ソシエダにとって欠かせない存在となったMF久保建英の場合は、川崎フロンターレのアカデミーに所属した小学3年生の時に、スペインの超名門FCバルセロナの下部組織「ラ・マシア」の入団テストに日本人で初めて合格。