恐らく普通の広島市民は、自分自身では、理知的かつ論理的には、説明しないだろう。実践者なのだから、そのことに無理はない。誰か第三者が、説明すべきだ。

もし説明がなされないと、「原爆を落として痛めつけると従順な人間に生まれ変わるので、ガザにも原爆を落とせばいい」と公言してはばからない人物が現れるのを防ぐことができない。

広島市民は、広島を訪問するオバマ大統領の姿を見て、感激した。自らが達成した奇跡の復興の意味の大きさを感じ取って、感激したのだ。

原爆投下後、勝ち誇るアメリカ人たちを横目で見ながら、広島に生きた人々は、草も木も生えないと言われた土地に残った。多くの人々が、広島を離れ、放射能汚染の偏見を恐れて、違う町の出身だと偽って、違う町で暮らしていった。それでもなお先祖伝来の土地を復興させるために広島に残った人々は、アメリカのへの復讐心を、奇跡の復興を果たす、という目標に置き換えて、努力を続けた。

そして遂にアメリカの大統領ですら、広島の奇跡の復興の偉業を認め、広島に敬意を表するために、広島を訪れてきた。広島市民は、復讐を試みることなく、その偉大さを、アメリカ大統領に認めさせたのだ。

自分の町を誇りに感じさせる感覚が、そして自分と自分の先祖の苦闘が報われた、と実感する感覚が、広島市民に涙を流す感動を与えた。

このような感動的な出来事を世界各地で起こせれば、世界は平和になる。残念ながら、簡単なことではない。そのため世界は平和ではない。しかしだからこそ、被爆者の方々の苦闘を称賛することは、世界史的な意味を持っている、とも言える。

被爆者の方々自身に自らの偉業を解説するように求めるのは、少し違う。むしろ日本人が、国家としての日本が、被爆者の方々の偉業を称え、その精神を日本の平和主義のアイデンティティの根幹を象徴するものとして確立していくことが必要だ。

それによって日本が、自国の歴史に誇りを感じる国になり、そして世界各国における平和構築に少しでも貢献していけるようになるのであれば、それほど素晴らしいことはない。