たとえば、機能論の立場からアメリカのマッキーヴァーは、「国家は、ある機能をみたすために、維持されている」(マッキーヴァー、1949=1957:141)として、①領土性、②主権性、③秩序の維持、④強制権力、⑤他のアソシエーションとの調整、⑥課税などを網羅するとした(同上:128-141)。これらに含まれない新しい機能が増えれば、「行政領域が拡大」することになる。

また、パーソンズでも、政治機能が社会構造の集合体の構成要素と密接であるとの観点から、「集合体における権力は、集合目標の利益において有効に義務を動員する手段である」(パーソンズ、1969=1974:28)として、機能論的理解を示した。

その後に「政府は最高レベルの政治的な機能・・・・・・の優位をもっている」(同上:304)として、アソシエーションとしての政府=国家を最高位に位置づけた。

第一次大戦後以降は各国において「集合目標」が多様になり、複合し、その達成が国家の課題になったのであり、英語圏ではわざわざ「社会国家」を使わずとも「国家」で十分意味が通じる。

質実剛健な兵隊確保なら「戦時国家」がふさわしい

(2)ソ連やナチスドイツの如き「全体主義」的「社会国家」のあり方(高岡、前掲書:70)では、「全体主義国家」を使うことで何の問題もない。

(3)「衛生主義的『社会国家』」を創り出す(高岡、前掲書:76)では、戦時体制における軍事型

国家が質実剛健な兵隊確保のために「国民保健衛生」を優先したのだから、むしろ「戦時国家」のほうが文脈に合うであろう。

軍事政策(壮丁体位)や全体主義的理想主義基づく分村移民事業は「戦時国家」

第2章

(4)広田-第一次近衛内閣期は、「社会政策」が時代の要請として脚光を浴び、……(中略)、戦時期に進行する『社会国家』化の出発点として重要な位置を占めている(同上:88-89)。ここで言われる「社会政策」は軍事政策(壮丁体位)と労働政策(重工業熟練労働者確保)なのだから、「社会国家」という表現はふさわしくなく、やはり「戦時国家」が合致する。