これだけの大きな問題である。トランプ氏も、相当に考えたうえで、停戦について語っているだろう。だがどのような天才交渉者であっても、毎回必ずまとめあげることができる、ということまでは言えないだろう。

さらに言えば、事態は極めて流動的である。バイデン大統領が選挙戦から撤退する前、トランプ氏は支持率において、大きくリードしていた。さらに7月13日に銃撃事件も起こってトランプ氏の当選の可能性がさらに高くなったという時、ゼレンスキー大統領は、トランプ氏に電話をして、会って語り合いたい、ということを申し出た。アメリカの武器支援に依存しながら、戦争継続を通じた勝利の可能性に固執するゼレンスキー氏にとって、トランプ氏は大きな問題だ。

そこでゼレンスキー大統領が行ったのが、クルスク侵攻であった。日本の軍事専門家の多くは、この侵攻作戦を好意的に評価して称賛した。しかし私に言わせれば、極めて非合理的で、人命を軽んじた残念な作戦であった。

ウクライナの「クルスク侵攻」で浮き彫りになった、世界とは異なる「日本の言論空間の事情」(篠田 英朗) @gendai_biz
ウクライナ軍がロシア領クルスク州への侵攻を開始してから、約一か月がたった。初期の段階では、一般の方々のみならず、数多くの軍事専門家や国際政治学者の先生方の間でも、ウクライナの「戦果」を称賛する高揚感が広がっていた。今にして思うと、瞬間的なお祭り騒ぎのようだった。

クルスク侵攻作戦の前の戦局は、長期の膠着状態にあった。昨年の夏前にウクライナが仕掛けた「反転攻勢」が成果を出せずに終わった後、双方が甚大な被害を出しながら、決め手を打つことができない状態に陥った。

これは、紛争解決理論の観点から言えば、W・ザートマンの「相互損害膠着」による「成熟」が近づいた状態であり、停戦の機運が近づいてくる状態である。もしその状態のままトランプ氏が大統領になったら、事態は一気に停戦に向けて動いていっただろう。