糖尿病患者が多かった

藤原道長、望月の歌で詠んだように富と名声を極めたものの健康には恵まれなかった
藤原道長、望月の歌で詠んだように富と名声を極めたものの健康には恵まれなかった / credit:wikipedia

このような食生活を送っていた平安貴族ですが、糖尿病に苦しむ人も多かったと言われます。

先述したように極度に炭水化物と塩分の多い食事を取っていることに加えて、当時飲まれていた酒は現在よりも糖度が高く、それゆえ多くの平安貴族の内臓はボロボロでした

さらに平安貴族は蹴鞠などといったスポーツをすることはあったものの、基本的には朝廷などでデスクワークをしており、恒常的な運動不足に陥っていたのです。

例えば平安時代を代表する貴族の藤原道長は、50歳を過ぎたころから異常な喉の渇きを訴えるようになり、頻繁に水を飲むようになりました。

道長は礼拝の最中でも中断して水を飲むなどしており、かなり異常な量の飲水量であったことが窺えます。

なお当時は糖尿病という概念を人々が理解していなかったことから、これらの病気は飲水病と呼ばれており、当時の医者たちは熱病の一種であると考えていました。

道長は渇きを癒すために効果があると言われていた葛の根などを試しましたが、当然効果はあまりなく、激しい胸の痛みや視力の低下などといった糖尿病の症状に悩まされるようになりました。

このようなこともあって、道長は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることもなしと思えば」というあの有名な望月の歌を詠んだ頃には、月が満ちているか欠けているかさえ満足に見ることができなかったと言われています。

昔の食事は今と比べて健康的だった印象がありますが、平安貴族の食事は現代とはかなり異なっているものの、現代同様、糖尿病に苦しむ人が多かったあたり、炭水化物や塩分を好む人間の習性は1000年前もあまり変わっていなかったようです。

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参考文献

実践女子大学学術機関リポジトリ (nii.ac.jp)
https://jissen.repo.nii.ac.jp/records/1564

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。